源頼朝は鎌倉に幕府を開くと、軍事目的のみならず年貢やその他物資輸送のため鎌倉へ通じる道路を整備しました。鎌倉街道には主道が3つあり、上ノ道、中ノ道、下ノ道と呼ばれています。いずれも武蔵国に向かい関東豪族の居館へ通じていました。利根町の鎌倉街道は、下総国府(現在の千葉県市川市)から常陸国府(石岡市)に通じる道路の一部であったと考えられており下ノ道にあたります。当時は、布川を経由し、大平の船着場、奥山、押戸船着場へのルートで、陸路だけでなく、船運をも利用した街道であったと推測されます。
鎌倉街道
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- 【ID】P-12
- 【更新日】2019年1月11日
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