北用水樋門(きたようすいひもん)
明治20年代~40年代頃まで新素材として煉瓦とセメントが普及し、それまで水門は竹や木でつくられ壊れやすく農民にとって不安なもので、立木村に明治32年にできた「北用水樋門(通称:小水門)」は夢のようでした。その後、鉄筋コンクリート工法の発展により全国的に煉瓦造りの水門は破壊されていきますが、小水門は役目を終えながらも小さな美しい姿で歴史を物語っています。
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メールでのお問い合わせはこちら- 2016年2月10日
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