柳田國男第2の故郷

利根町での2年間

兄・鼎(かなえ)のもとを訪れる

『兄・鼎(かなえ)のもとを訪れる』の画像
兄の鼎は、利根町の小川家のはなれを借り、医院を開業していました。その鼎をたよりに13歳のときに利根町にやってきた國男は、自由に野山をかけめぐり、また小川家の蔵書を思う存分読ませてもらうなど、さまざまな体験をしています。

不思議の玉

『不思議の玉』の画像
布川で少年國男はこんな体験をしました。この祠には、石の小さな扉がはまっていて、その中がどうなっているのだろうか興味を持ち、誰もいないのを見計らっておそるおそる開けてみたのです。すると実にきれいな玉が入っていて、それを見たとたん気持ちが変になって、見上げた青い空に星が幾十も輝いているのが見えたのです。すると、突然、ヒヨドリが「ピーッ」と鳴いて空をとおりました。「もしあの時にヒヨドリが鳴かなかったら、私はあのまま気が変になっていたかも…」と、後年この日の体験を思い出しています。
このような体験が、神隠しや異常心理、民間の不思議な伝説に関心をいだかせ『遠野物語』へとつながっていったものといえるでしょう。

土蔵の中で

『土蔵の中で』の画像
布川での2年の間、國男は学校に通うこともなく、自由な生活を過ごしました。いつも遊びまわっていましたが、小川家の土蔵には、國男の好奇心を満足させる本がたくさんあり、それを自由に読ませてもらえたのです。

間引き絵馬

『間引き絵馬』の画像
徳満寺に1枚の絵馬があります。それは1人の女が鉢巻を締め、産んだばかりの赤ん坊を、力いっぱい押えつけているというものでした。障子には、その女の影が映り、角が生えています。
「その意味を私は子供心に理解し、寒いような気持ちになった」と國男は後に述べています。天明の飢饉(1783)以来、食べ物がなければ、こうする以外方法がなかったのです。こうした「飢饉を絶滅しなければならない」という思いもまた國男を学問の道にかりたてたのです。

進学準備のため上京

明治23年、國男が16歳のときに進学の準備のため、次兄の通泰を頼って上京します。利根町で過ごした2年間は、國男にとってさまざまな体験をしました。そして、その生活の中で抱いていた夢がやがて実を結び、民俗学会創立や文化勲章の受章へとつながっていきました。國男の学問には、この布川での生活体験がひとつの底流となっていたのです。

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