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文化

遺跡の散歩道

花輪台貝塚(花輪台のヴィーナス) 仁王尊像 利根川図志 間引き絵馬 金銅板両界曼陀羅 小林一茶句碑 古田月船の墓 利根地固め唄

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花輪台貝塚(花輪台のヴィーナス)

『花輪台貝塚(花輪台のヴィーナス)』の画像
早尾台にあり、いまからおよそ8~9千年前の縄文早期遺跡で、竪穴式住居遺跡や土器など豊富な遺物が発見されています。なかでも日本最古のヴィーナス型土偶(通称=花輪台のヴィーナス)は、手頭足を欠く女性裸像ですが、その均整のとれた美しさには目を見張るものがあります。周囲は宅地化が進み、いまは家並みの中にぽつりと小高い丘として、当時をしのばせています。

仁王尊像

『仁王尊像』の画像
泉光寺の境内には、仁王門(1850)があり、阿吽(あうん)の仁王尊2体がまつられています。運慶派仏工の作といわれています。仁王尊に「わらじ」を奉納し、足が丈夫で無事に旅ができるよう祈ったり、奉納された「きりすね」(機織りのとき最後に残った木綿糸のこと)を、女たちの痛んだ手に巻いて回復を願い、また目が疲れたときには「め」の字を書いた絵馬を奉納し、目の回復を祈願するなどの民間信仰がありました。なお、泉光寺の創建時は不詳ですが、鎌倉街道沿いの寺として、古い歴史を持つ真言宗の寺です。

利根川図志

『利根川図志』の画像
江戸期、布川に生まれた赤松宗旦は、安政5年に(1858)、利根川流域の歴史や生活、伝説・地理・物産等を描いた『利根川図志』を完成させました。

間引き絵馬

『間引き絵馬』の画像
徳満寺の本堂廊下には、「間引き絵馬」があります。絵馬には、母親が必死の形相で生まれたばかりの子供の口をふさいでいる様子が描かれており、水害と天明の飢饉に襲われた、農民の悲惨さを象徴しています。民俗学者柳田國男は、少年時代にこの「間引き絵馬」、そして「利根川図志」にふれたことが、後に民俗学を志す原点になったといわれています。

金銅板両界曼陀羅

『金銅板両界曼陀羅』の画像
府川城跡でもある布川の徳満寺(真言宗)の寺宝「金銅両界曼陀羅」は、利根町唯一の国指定重要文化財になっています。赤松宗旦も「布川案内記」の中で、その重要性を高く評価しています。建久5年(1192)、工師藤原延次の作といわれ、現在は、東京国立博物館で管理されています。

小林一茶句碑

『小林一茶句碑』の画像
布川の金刀比羅(琴平)神社境内には、「べったりと 人のなる木や 宮角力  一茶」という句碑が建っています。当時の金刀比羅神社の奉納相撲の賑わいぶりを詠んだもので、一茶直筆の句が彫ってあります。

古田月船の墓

『古田月船の墓』の画像
羽中の応順寺(浄土真宗)には、小林一茶と親交のあった布川の俳人古田月船の墓があります。墓には、「花守りがよその花見る月夜かな」の句がしるされています。なお、応順寺は天正16年(1588)に開基され、寺宝には親鸞聖人の一生を描いた「御絵伝」があり、庭にある8つの房の梅と共に有名です。

利根地固め唄

『利根地固め唄』の画像
江戸時代のはじめに、利根川を江戸湾から銚子へ流れを変える大工事が行われました。そのなかで生まれ、伝えられてきた仕事唄が「利根地固め唄」です。平成元年に保存会が組織され、さまざまな催しに出演してきました。平成6年4月には利根町の無形文化財として指定されましたが、長年の保存活動による唄の歴史的価値が認められ、平成14年には茨城県の無形民俗文化財に指定されました。

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