文化施設

柳田國男記念公苑

『柳田國男記念公苑』の画像柳田國男記念公苑は、國男が少年時代を過ごした旧小川家の母屋、土蔵(資料館)で構成されており、著作物や文書等を展示しています。また、会議、講座、宿泊施設として利用できます。

 

住所
茨城県北相馬郡利根町布川1787-1
電話番号
0297-68-7189
使用時間
【一般見学】 午前9時~午後4時30分
【会議・講座等】 午前9時~午後9時
【宿泊】 午後3時~翌日の午前8時30分
休苑日
月曜日・祝日・年末年始
使用料
【見学料】 無料
【集会室(1室あたり午前中)】  530円
【午後・夜間】 720円
【宿泊(寝具無)】 3,160円

 

日本民俗学の父・柳田國男第二の故郷「利根町」 ── 少年の夢,はてしなく。

『利根町立柳田國男記念公苑全景』の画像
【利根町立柳田國男記念公苑全景】
 日本の民俗学の父・柳田國男は、明治20年初秋、13歳の時から約3年間の多感な少年期を利根町布川で過ごしました。
 兵庫県福崎町に生を受けた國男を利根町に結びつけたのは、布川出身の医師で、当時千葉県検見川で医院を開業していた海老原精一でした。
 精一の妻・としは、布川の医師・小川東作の三女でしたが、明治15年、義父である東作が45歳で若死にしたために、妻の実家の窮状を案じた精一が、自分の病院で代診をしていた國男の長兄・松岡鼎を小川邸内の離れに住まわせ「済衆医院」を開業させました。
 これは鼎にとっても好機の訪れで、経済的にも自立した鼎は、まず弟の國男を引き取り、次いで両親と下の弟の静雄(後に軍人・言語学者)、輝夫(後に日本画家・松岡映丘)も呼び寄せました。
國男は、体が弱かったことから、鼎の方針で学校へは行かずに、裸で野山を駆けめぐり自由な暮らしをする反面、代々学者の家系であった小川家の土蔵(現・柳田國男記念公苑資料館)に納められた万巻の書物を読みあさるという、実に両刀使いでした。これが播州の三木家に次ぐ、いわゆる「第二の乱読時代」で、日本民俗学の手引書的存在となった『利根川図志』(赤松宗旦著)に出会ったのも、この土蔵の中でのことです。また小川家の祠(柳田國男公苑所蔵)での神秘体験、徳満寺の「間引き絵馬」に触れた時の衝撃など、布川での様々な体験が後に民俗学の道に駆り立てて行ったと言われ、それ故に当町は「第二の故郷」と位置付けられています。
 一方、國男はここで、東作の子・龍(後に海軍軍医中将)や、龍の義理の甥に当たる岡田武松(後に中央気象台長)らとも親交を結びました。
 一家は後に現在の我孫子市布佐に移住し、鼎は千葉県医師会長や布佐町長を務めますが、國男をはじめ兄弟知友らは、皆それぞれの分野において、輝かしい功績を残すことになりました。その源流が、ここ利根町にあるのです。
『旧小川家の土蔵と祠』の画像
【旧小川家の土蔵と祠】
『徳満寺間引き絵馬』の画像
【徳満寺間引き絵馬】

柳田國男記念公苑アクセスMAP

『柳田國男記念公苑アクセスMAP』の画像

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